過去には「視聴率100%男」と呼ばれ、芸能界の頂点を極めた萩本欽一さん。
その功績は半世紀に渡って影で支え続けた妻「澄子」さんの存在があったからといっても過言ではありません。
今回は萩本欽一とその妻澄子さんの馴れ初めについてご紹介します。
萩本欽一と妻澄子さんの馴れ初め!出会いはストリップ劇場!
2人が出会ったのは1963年。
萩本欽一さんが「浅草フランス座」でコントをしていた時でした。
階下には「東京劇場」というストリップ劇場があり、
当時東京劇場で働いていた澄子さんは、
空き時間があると萩本欽一さんのコントを見に行くことがたびたびありました。
そのことがきっかけとなり萩本欽一さんは澄子さんを意識し始めるのですが、2人が会話をすることはありませんでした。
芸人と踊り子が会話することは禁止されていたからです。
萩本さんが半年間地方巡業に行くことになり、送別会を開いた際もほとんど口を聞くことはなかったそうです。
別れ際に
「困ったら質屋に持っていって」
と澄子さんがつけていたブレスレットをプレゼントしました。
その後、萩本さんが戻ってきてからも澄子さんはテレビを買い与え、
「今どきの芸人はテレビを見なきゃダメ」
と言い残します。
その後も、たびたび萩本さんの下宿先にやってきては家財道具を揃えるなど、身の回りの世話をするようになります。
夫婦同然の生活を送っていた2人ですが、
澄子さんは姿を消してしまいます。
自分の存在がマイナスになる
萩本さんが坂上二郎さんと「コント55号」を結成し、テレビに出はじめた頃の話しでした。
澄子さんは、自分の過去の経歴が萩本さんにとってマイナスになると思い、身を引いたのです。
なんとか居場所を探し当て、澄子さんと一緒になるためにプロポーズをするのですが、彼女は首を縦に振りません。
唯一彼女が望んだことは「欽ちゃんのこどもがほしい」
萩本さんは、子供が出来たら結婚してくれるだろうと子作りに励みます。
そのかいあって長男を出産。
しかし、それでも澄子さんはすでに記入してある婚姻届を出そうとはしませんでした。
引退を覚悟した記者会見で結婚を発表!
なんとか澄子さんと結婚したい萩本さんは実力行使に出ます。
引退を覚悟した記者会見をして、澄子さんの背中を押してあげようとします。
当時の萩本さんは、芸人が奥さんや子供がいることを公表したら引退しなければならないと思っていたそうです。
澄子さんと結婚をするために夢だった芸人の道を閉ざしてもいい、そんな覚悟でのぞんだ記者会見でしたが、
周囲の反応はとてもあたたかなものだったそうです。
萩本さんの芸人としての熱意と、影から支え続けた澄子との慎ましい関係を応援してくれていたそうです。
萩本欽一、澄子さんとついに結婚
1975年にお2人は結婚されています。
その後、3人の子宝にも恵まれます。
そして現在、澄子さんはがんで亡くなってしまっております。
まとめ
萩本欽一さんと亡き澄子さんが結婚するまでのエピソードをご紹介しました。
亡くなったあとの作法も、萩本さんらしい一面が垣間見え、
2人の関係がすばらしいものであると感動します。